「あそぼう!」もまもなく3年目に突入。新たな年度に入るから、と言うわけでもないのだけど、4月から新たな試みを取り入れたらどうかと思案している。
これまで、「あそぼう!」は、開催日とだいたいの始まりの時刻を決めているものの、そのときの児童館の状況をみながら、集まり始めた子どもたちを相手に「さぁ、始めるよ~っ」的に、準備してきたプログラムを半ば突然にスタートしていた。
開始初年度には、冒頭にアイスブレイクを取り入れようと試みた時期もあったのだけど、経験不足や技術の拙さから、三々五々で集まってくる子どもたちに対応できず自然消滅していた。
で、新たな試みと言うのは、そろそろ始めようかという段になったら絵本を読んで聞かせたらどうだろうか、というものだ。
家族でも生徒でもない“こども”と、親でも教師でもない“おとな”が、“あそび”の中で出会い、気負わず楽しく居合わせる機会づくりに励む「こりれいず」。
代表のす〜さんが、活動や日々の出来事、思いついたことなどを羅列しています。どうぞ、 おつきあいください。
活動の予告・報告は Instagram(@korireizu) Facebook (@こりれいず仙台) でも確認できます。
2008
よく行く近所の児童館のことを、私は勝手に「わかじ」と呼んでいる。もちろん略称。しかし誰とも共有できていないので、せいぜい家族との間でしか使わない。
さて、その「わかじ」が凄いことになっている。と言うか、児童館業界のことはよく分からないので、実のところ凄いのか、それほどでもないのか真偽は定かではないのだが、5月の児童館だよりを見て私は驚いた。
さて、その「わかじ」が凄いことになっている。と言うか、児童館業界のことはよく分からないので、実のところ凄いのか、それほどでもないのか真偽は定かではないのだが、5月の児童館だよりを見て私は驚いた。
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2008
今日は、参加している地元小学校のオヤジの会の作戦会議に、仕事の都合で遅れて参加した。
会場となった近所の市民センターの会議室のドアをそーっと明けると、メンバーの声はすれども室内は暗い。アレ? 部屋間違えたか?
いえいえ、M会長が、これまでのオヤジの会の活動を記録したVTRを編集したものを持ち込み上映していたのだ。
見終わって感じたことはふたつ。
会場となった近所の市民センターの会議室のドアをそーっと明けると、メンバーの声はすれども室内は暗い。アレ? 部屋間違えたか?
いえいえ、M会長が、これまでのオヤジの会の活動を記録したVTRを編集したものを持ち込み上映していたのだ。
見終わって感じたことはふたつ。
2007
恥ずかしい話ですが、私は20代の頃までは「30代になったら人生は終わりだ」と根拠もなく思っていました。
わがままな私にとって、自分の好きなことを好きなときにできなくなる(と思っていた)30代以降は、ただただ惰性で生きていくしかない人生の後半戦のように思えていたのです。
ときどき、「結婚は人生の墓場」と言う人がいます。私にとっては、それが人生ではなく30代という年齢だったのです。
今考えると笑うしかないのですが、当時はそれなりにまじめにそう考えていました。
その年代を超えた今、自分はこれまでの人生の中でも最も充実した日々を過ごしているのではないか、と思うぐらいに楽しく幸せな日々を過ごしています。
そう、人間、年齢をとっても大丈夫、だったのですね(笑)。
わがままな私にとって、自分の好きなことを好きなときにできなくなる(と思っていた)30代以降は、ただただ惰性で生きていくしかない人生の後半戦のように思えていたのです。
ときどき、「結婚は人生の墓場」と言う人がいます。私にとっては、それが人生ではなく30代という年齢だったのです。
今考えると笑うしかないのですが、当時はそれなりにまじめにそう考えていました。
その年代を超えた今、自分はこれまでの人生の中でも最も充実した日々を過ごしているのではないか、と思うぐらいに楽しく幸せな日々を過ごしています。
そう、人間、年齢をとっても大丈夫、だったのですね(笑)。
2007
「“あそび”を通して、こどもとおとなの関係づくりをしていきたい」と、考えている。
子どもだけでもなく、大人だけでもなく、子どもと大人が一緒になってさまざまな体験をすることで、お互いに大切な存在となっていくこと。漠としているが、そんなお手伝いができたらいいな、と思っている。
子どもだけでもなく、大人だけでもなく、子どもと大人が一緒になってさまざまな体験をすることで、お互いに大切な存在となっていくこと。漠としているが、そんなお手伝いができたらいいな、と思っている。
2007
「“子どもの育ち”に最大の影響を与える環境要因は、周囲の大人たちだ」
これは、私の活動の師匠であるEさんから聞いた言葉だ。現在の私が志す活動の基本は、この言葉に始まっているのだと改めて思わずにはいられない。
この言葉を聞いた頃の私は、小さな広告制作の会社でイベントに携わっていた。後の師匠となるEさんとはお仕事の一環として出会ったのだ。
これは、私の活動の師匠であるEさんから聞いた言葉だ。現在の私が志す活動の基本は、この言葉に始まっているのだと改めて思わずにはいられない。
この言葉を聞いた頃の私は、小さな広告制作の会社でイベントに携わっていた。後の師匠となるEさんとはお仕事の一環として出会ったのだ。
2007
先に投稿した、「囲碁であそぼう!」。実は、Kさんとはある無謀な(?)夢を語り合っている。
この機会に誰か囲碁のお世話ボランティアを見つけて、子ども達に囲碁に親しんで欲しいなと思っているのだ。
そして、ある程度定着したら隣接児童館に進出し、児童館同士の対抗戦ができたらいいなぁと話しているのだ。
そこまでいくのにどのくらいの時間が必要か分からないけど、できたらいいなぁと思っている。
思っているだけじゃダメダメなんだけどね。