家族でも生徒でもない“こども”と、親でも教師でもない“おとな”が、“あそび”の中で出会い、気負わず楽しく居合わせる機会づくりに励む「こりれいず」。
代表のす〜さんが、活動や日々の出来事、思いついたことなどを羅列しています。どうぞ、 おつきあいください。
活動の予告・報告は Instagram(@korireizu) Facebook (@こりれいず仙台) でも確認できます。
2024
既に動き出している話だが、やっぱり触れておきたい助成金の話。
以前に応募したことは投稿していたが、助成金、決まりました!7月末に(笑)!
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2024
例えを間違った…のだと思う。それと、少し焦っていたかも…
もう去年の話。
とある席で「自分が活動するときに大切にしていること」を尋ねられたことがある。
即座に「その場に、“あそび”が成立していること」と答えたように思う。更に、それだけでは伝わらないかな、と感じたので補足をした。
この補足が、多分、混乱を呼んだ…のだろう。
一拍置いて、相手から「代表さんは、“学び”を“まねび”と捉えているんですね」と返ってきた。
「???」「はて?」
他の人がいたこともあり、そこで話を終えたのだが、正直、なにかしっくりとしなかった。
“まねび”は、“学び”の語源の説のひとつで、“学び”という行為を先達者(上級者)の行為をマネしながら習得する様子を語源とする説だ(と理解している)。
この説に異を唱える気は毛頭ないが、自分がことさらに〝あそび〟という行為を大切にしていることとは、自分の中で繋がっていない。
活動が〝あそび〟として成立していることを重視する理由は、「こりれいずとあそび」に挙げているが、やはり、補足が悪かった。
「〝あそび〟は〝まなび〟だし、〝まなび〟は〝あそび〟だと思うから」と継いだから…
会話中の〝まなび〟を〝まねび〟と解し、“あそび”を“ごっこ遊び”のような“まね遊び”と瞬時につなげたのだろう、多分。
真似をする(模倣する)ことで先達から何かを会得することを〝まなび〟の基本的な姿と考えていて、だからこそ“あそび”が成立していることを重視するのだろう、と。
頭の切れる方だから、瞬時にそう思ったのだろう。
もし、その理解が的外れでなければ、例えを、補足を誤ったとしか言えない。
去年の話だし、大した話ではないと思いながらも、やはり、何かしっくりしない(笑)。何かイズイのだ…
#あれこれな日々
#あそびとまなび
#まなびとまねび
2024
例えを間違った…のだと思う。それと、少し焦っていたかも…
もう去年の話。
とある席で「自分が活動するときに大切にしていること」を尋ねられたことがある。
即座に「その場に、“あそび”が成立していること」と答えたように思う。そして、それだけでは伝わらないかな、と感じたので補足をした。
2024
代表が、今(?)、読み散らかしているのが、延藤安弘先生の「こんなまちに住みたいナ(晶文社刊)」。
まちづくりのエッセンスと絵本の紹介が組み合わさったユニークな書で、とても面白い!