家族でも生徒でもない“こども”と、親でも教師でもない“おとな”が、“あそび”の中で出会い、気負わず楽しく居合わせる機会づくりに励む「こりれいず」。
代表のす〜さんが、活動や日々の出来事、思いついたことなどを羅列しています。どうぞ、 おつきあいください。
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2023
代表が、自分が好き、楽しいと思う(思っていた)あそびを記す「自分あそび遺産」。栄えある(かどうかは不透明だが)第1回目は、「げんしおに」。
正しい表記は、多分、「原子おに(ごっこ)」だろう。
オニがひとり、逃げる人がひとり。残りのメンバーは、みんな手を繋いだ状態で走る。
「手つなぎおに」と違うのは、手を繋いだ人たちはオニになって追いかけるのではなく、手を繋いだままで逃げるのだ。
とは言っても、手を繋いでいる人をオニは捕まえられない。
オニが捕まえることができるのは、あくまでも逃げ役のひとりだけ。
逃げ役は、手を繋いでいる人たちのどちらか端の人に手をつなぐと、手を繋いだ反対側の人がはじき出されて新たな逃げ役となる。
右端の人の右手を掴めば、左端の人が新たな逃げ役だ。
また、手つなぎ衆は2人以上であれば、分散も集結も自由。人数が多くて走りにくければバラけることもでき、逃げ役の逃げ先が増えることにもなる。
逃げ役になりたくない人は、端にならないよう他の手つなぎ衆の端に捕まれば端ではなくなるので、逃げ役になる心配もなくなる。
なので、オニが逃げ役を狙い、逃げ役が手つなぎ衆の端を狙うのと並行して、手つなぎ衆の分散と集合が繰り返されながら、他の手つなぎ衆を追いかける手つなぎ衆が現れたりもする。なかなかカオスな光景だ。
この、ひとりくっついたら反対側のひとりがはじき出される様子と、分散・集合する様子を「原子」になぞらえたのではと思う。
このオニごっこ、今ならイジメと言われるかもしれないが、手つなぎ衆の両端が手をつないで輪になり、逃げ役の捕まりどころを無くす、なんて裏技もおフザケとして存在した。
今、思い出せないのは、どうなれば終わりなのか。そこが思い出せない。
まぁ、普通のオニごっこもそうなのだけど。
P.S.
文章だと、よく分からない。文章力の問題か(笑)
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