家族でも生徒でもない“こども”と、親でも教師でもない“おとな”が、“あそび”の中で出会い、気負わず楽しく居合わせる機会づくりに励む「こりれいず」。
代表のす〜さんが、活動や日々の出来事、思いついたことなどを羅列しています。どうぞ、 おつきあいください。
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2023
もう昭和の時代。
小学生の6年間、民間の学童保育に通っていた。
ここに結びつく楽しかった子ども時代の記憶も多い。
その記憶の中に、児童館勤務を経た今だからこそ、衝撃的な記憶がある。
指導員の子どもたちの遊びへの関わり方だ。
教員を定年退職されたS先生と、ご自身も小学生の子を持つI先生。指導員は2人。
自分は「野球遊び(バットベース?)」や「たすけおに(今で言う警ドロ?)」をしていることが多かったからか、こどもの人数も多く大人のヘルプが不要だったからか、それとも単なる記憶違いか、先生たちがこどもの中に入り、一緒に遊んだ記憶はほとんどない。
併せて、「たすけおに」なんかは、範囲が学童クラブの敷地内だけではなく、マチの一区画分まで認められていた。
こどもの足だとグルッとひと回り10〜15分くらいだったろうか。
こどもの遊ぶ範囲としては、なかなかに充分な広さがあったように思う。
かなりの広さだが、こどもは群がって遊んでいたから、エリアを逸脱しようとすると、止めにはいる仲間や親分格の上級生がいたりして、指導員に叱られる前に抑制される仕組みが働いていたように思う。
何か困ったことがあれば誰かが指導員のところに走る。それで、事足りていたような気がする。
あそび集団をリードしないまでも、見守る(監督する?)大人がいないなんて、児童館勤務を経た今となってはとてもとても信じられない話。
ある種の了解をもって、こども集団が大人の信頼を得て、遊びを自治できている。
こどもを取り巻く状況も大きく変わり、今ではあり得ないことだと思いながら、あの頃を楽しかった時代と思い出せる理由のひとつかもしれないと思ったりもする。
そう言えば、市民センターの職員時代、訪れた民間学童保育で同じような場面に遭遇したことがあった。
虫取り網を手に「行ってきま〜す」という少年グループに、「気をつけてな」と声をかけて送り出す指導員。あれは15年くらい前の話か…
自分が気づいていないだけで、もしかしたら大人の引率者がいたのかも知れないが、懐かしい光景。
でも、この光景、児童クラブに登録していない子には今もある光景なのかもしれない。呼びかけに応えてくれる大人もいないかも知れないが…
う〜ん、なんか考えてしまう。
#日々の中で思うこと
#学童保育
#子どもの遊びとおとな
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