家族でも生徒でもない“こども”と、親でも教師でもない“おとな”が、“あそび”の中で出会い、気負わず楽しく居合わせる機会づくりに励む「こりれいず」。
代表のす〜さんが、活動や日々の出来事、思いついたことなどを羅列しています。どうぞ、 おつきあいください。
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2011
職場でボランティアの話になった。
被災地に乗り込んでくるボランティアの一部には、“自分のおもい≧被災者の気持ち”となってるパターンがありはしないだろうか?との話。
被災地に乗り込んでくるボランティアの一部には、“自分のおもい≧被災者の気持ち”となってるパターンがありはしないだろうか?との話。
実は、いくつか等式(不等式?)が当てはまっているのでは、と思われるケースを目撃している。
どうしてこんなことが起こるのだろう? 当人たちに悪気はない筈なのに...
どうしてこんなことが起こるのだろう? 当人たちに悪気はない筈なのに...
ひとつの仮説。
それは、自分(たち)の力いっぱいいっぱいのところでボランティアしようとするからではないだろうか?
つまり、10のチカラをもつ人が、10のチカラが必要なボランティアをしようとすると、周囲を見る余裕も、状況に合わせて臨機応変に内容をコントロールすることもできないため、自分のやりたいこと、やれることしかできなくなる。そのことが、必ずしも被災者(受益者)の希望に沿うとは限らないのに...
だから、被災者側がボランティアの相手をするボランティアをしているのでは、と思えるようなことが起きてしまう。
でも、あまりに余裕を持ち過ぎて5のチカラでやれることしかやらないでいると、成長は得られない。なかなか加減は難しいのかも。
このことは、わがこりれいずにとっても、なかなか耳の痛い話かもしれない。
なんか、いつも結構、いっぱいいっぱいだしね(苦笑)。
それは、自分(たち)の力いっぱいいっぱいのところでボランティアしようとするからではないだろうか?
つまり、10のチカラをもつ人が、10のチカラが必要なボランティアをしようとすると、周囲を見る余裕も、状況に合わせて臨機応変に内容をコントロールすることもできないため、自分のやりたいこと、やれることしかできなくなる。そのことが、必ずしも被災者(受益者)の希望に沿うとは限らないのに...
だから、被災者側がボランティアの相手をするボランティアをしているのでは、と思えるようなことが起きてしまう。
でも、あまりに余裕を持ち過ぎて5のチカラでやれることしかやらないでいると、成長は得られない。なかなか加減は難しいのかも。
このことは、わがこりれいずにとっても、なかなか耳の痛い話かもしれない。
なんか、いつも結構、いっぱいいっぱいだしね(苦笑)。
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