家族でも生徒でもない“こども”と、親でも教師でもない“おとな”が、“あそび”の中で出会い、気負わず楽しく居合わせる機会づくりに励む「こりれいず」。
代表のす〜さんが、活動や日々の出来事、思いついたことなどを羅列しています。どうぞ、 おつきあいください。
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2023
児童館長を退職して、自宅で過ごすことが増えた。
もちろん、いろんなところに出かけては、コチャコチャと「こりれいず」の仕込み活動をしているので、自宅にいない時間の方が多いが、それでも、以前よりは在宅の時間は増えた。
そこで、自分でも少しの驚きをもって感じていることがある。
かなり前の話になるが、保育園に「子どもの声がうるさい!園庭に出すな!」と怒鳴り込んできた人がいて、実は、その人は元小学校の校長先生だった、という話を聞いたことがある。
そのときは、「こどもたちが賑やかなのは当たり前で、校長先生までした人があり得ない!」といったような感想を口にしていたように思う。
でも、今、嬌声をあげながら学校から帰ってくるこどもたちの声を「うるさい!」「なんでいきなり叫ぶんだよ!!」「車道を挟んで会話するなよ(必然的に大声になるから)!!」とマンションの一室で思う自分がいる。そう、あのときの元校長と変わらない心境の自分がいるのだ。さすがに、怒鳴り込みはしないが...
何故だろう???
何故、こどもたちがうるさいのは当たり前、なんなら静かに無言で通勤時のサラリーマンのように足早に歩くこどもたちの方が、いろいろと問題がありそう...
と知っているハズの元校長や元児童館長が、「うるさいから何とかならないものか」と感じてしまうのか。
実は、ひとつだけ、思い当たることがある。
今の自分にとって、嬌声をあげながら帰宅するこどもたちは、顔も名前も知らず、言葉を交わしたこともない「知らないどこかの子」なのだ。
以前、近所の児童館にボランティアとして顔を出していた時期がある。その頃なら「今、叫んだの●年生の●●くんじゃないかな、帰り道も元気だなぁ」とか、「何か嫌なことでもあったかな?」と感じていたように思う。
あの頃は、ごく一部のこどもたちではあるが、顔も名前も学年も、何なら性格までも知っていた。「知らないどこかの子」がいきなりに意味なく叫んでいるのではなく、「(知り合いの)●年生の●●くん」が元気に騒いでいるのだ。この違いはとてつもなく大きい。
地域の子どもたちと知り合っている大人が少ない地域(施設当事者の少ない地域)では、こどもたちの元気な声は騒音でしかない。今、「保育園」や「幼稚園」は、「廃棄物処理施設」のような家の近くにあってほしくない「迷惑施設」なのだそうだ(失礼!)。
こりれいずでは、こどもたちの育ちを応援する視点で活動をしているが、地域に根差す活動は全くしていない。というか、できていない。いずれはと思うものの、何かきっかけを見つけないといけないのかもしれない。
#日々の中で思うこと
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