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家族でも生徒でもない“こども”と、親でも教師でもない“おとな”が、“あそび”の中で出会い、気負わず楽しく居合わせる機会づくりに励む「こりれいず」。 代表のす〜さんが、活動や日々の出来事、思いついたことなどを羅列しています。どうぞ、 おつきあいください。 活動の予告・報告は Instagram(@korireizu) Facebook (@こりれいず仙台) でも確認できます。

2024

0329
先にポストした「あそびの定義」を小脇に抱えて、少し理屈を捏ねてみる。
”こどもの育ちにはあそびが重要”とは、よく耳目にするフレーズだ。
「こりれいず」にとっても〝あそび〟は、根幹を成す大事な部分であり、すべてでもある。


先の定義にもあるように、もともと〝あそび〟は、自分のキモチを出発点に始まり(自発性)、その終わりも自らが決める(自己完結性)という、極めて個人的な、ある意味で自分本位な行為なのだと思う。
つまり〝あそび〟は、決して誰かにやらされたり、決められたりするものではない(と書きながら少し耳が痛い…)。
そう考えると、本来〝あそび〟は、楽しさに包まれた(自己報酬性)自分のキモチにまっすぐ忠実な行為であり、〝あそび〟には、その人らしさが、まるのまま現れている、とも言えるだろう。
では、複数人の〝あそび〟になるとどうだろう?
複数人による〝あそび〟の成立には、意識するしないに関わらず、出発点の異なる(もしかしたら目的地も異なる)複数のキモチを瞬時にすり合わせ受容し合う、極めて複雑で高度な調整機能が相互に働くことが必要だろう。こどもたちは、そんなハードな作業(もはや苦行)を日々こなしていく。“たかが遊び”とバカにしてはいけないのだ。
逆に言えば、そんな苦行に耐えることは、“楽しい”からこそ可能なのかもしれない。
「こりれいず」では、ヒトが成長するためには、個が尊重されながら他者と関わりあうことが極めて重要だと考えている。
幼少期から、小さな衝突を繰り返しながらも関わり合い続けるためには、“楽しい”ことが大切であり、併せて、仲間に自分が受容されているという実感も欠かせないだろう。たとえ、それが意識化されていなかったとしても…
こりれいず的に言えば、楽しさと受容を併せ持つ〝あそび〟による関わり合いこそ、地道に積み重ねられていく“ヒトの育ち”には最適で効果的な手段だと信じている。
「こりれいず」が、自分たちの活動が〝あそび〟として成立している状況をめざし大切にしているのは、そんな考え方に拠っているからに他ならない。
などと書きながら、代表は活動を純粋に楽しんでいるだけ、との声もあるのだけど…(爆)
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