家族でも生徒でもない“こども”と、親でも教師でもない“おとな”が、“あそび”の中で出会い、気負わず楽しく居合わせる機会づくりに励む「こりれいず」。
代表のす〜さんが、活動や日々の出来事、思いついたことなどを羅列しています。どうぞ、 おつきあいください。
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2024
現在、放映中のドラマ「不適切にもほどがある」を楽しく観ている(途中回からだけど…)。
数回前の話に、令和から昭和にやってきた吉田羊と昭和の教師の会話の中に「登校拒否」「いえ、不登校です」と言うやりとりが出てきて、「あぁ、そうだったなぁ…」と感じた。
代表は高校1年生のとき、学校に行けない時期があった(結果、約1年間の休学後に留年して復学)。
昭和の話だから、まさに「登校拒否」をしていたことになる。
当時は「いじめ」が社会問題化していて、「登校拒否」の子どもたちにも、その被害者が相当数含まれていたように思う。
しかし自分の場合、「いじめ」は存在せず、家庭や友だち、教師との問題も存在しなかった。
なぜ行けなかったのか? 還暦近い現在でも理由は分からないままだ。
当時は「いじめられてる訳でもないのに学校に登校していない」と自分で思い、“情けない!”とか、“申し訳ない!”とか、“苦しい!”と感じていたことだけは覚えている。
話は代わり…
先日、高校1年生の子たちから、「不登校のような生きづらさを抱えている子(たち)に、私たちができることはあるのか?」との質問を受けた。
この問いの答えは、多分、千差万別。絶対的な正解があるのかすら分からない。状況によって答えは異なるだろう…恐らく。
絞り出して答えたのが、「偶然出くわしたのでも、久々の登校でも、不登校の子と顔を合わせたなら、他のクラスメイトと同じように挨拶してほしい…かな」と答えたように思う。
お見舞いや手紙(今ならメール? LINE?)は、状況次第では悪手にもなる。
話は、また代わり…
児童館館長時代、前任館長からの申し送り事項に「学校に行けず、代わりに朝から児童館に登館してくる児童の受入れ」があった。
勤務する児童館は校舎内にあったので、時差登館(児童館は9時から)とは言え、日中にはクラスメイトと顔を合わせることもある。
なんなら、放課後は児童館で一緒に過ごす。
校外学習は、みんなと一緒に出かけていく。
クラスメイトは、クラスの一人として当たり前のように接し、本人も当然のように一緒に過ごす。ただ、一緒に教室にいることだけができなかった。
そんな日々が1年ちょっと続いたある日、変化が起きる。
(後になって思えば)ここぞというタイミングで、担任が半ば強引に教室に連れて行った。
その日から卒業までの数年間、その子は一度も欠席も遅刻もしなかった。
聞いた話では、中学校の3年間も、無遅刻・無欠席だったらしい。
なぜ不登校が始まり、いつその状態が解消するのか。
残念ながら神のみぞ知るとしか言えない。だからこそ、本人も家族も苦しい。
過去最多とも言われる不登校の子どもたち(人数的には小学生より中学生に多い?)。
今は児童館職も離れたが、当時見かけた教室に入れない子たちの姿を思い出しながら、先の高校生たちのように、自分にできることを探している。
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