家族でも生徒でもない“こども”と、親でも教師でもない“おとな”が、“あそび”の中で出会い、気負わず楽しく居合わせる機会づくりに励む「こりれいず」。
代表のす〜さんが、活動や日々の出来事、思いついたことなどを羅列しています。どうぞ、 おつきあいください。
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2024
ここ10年くらい、「コミュニティづくり」とか、「コミュニティの活性化」といった文脈で、「コミュニティ」という言葉を良く目にする。
ここ10年くらいか、「コミュニティづくり」とか、「コミュニティの活性化」といった文脈で、「コミュニティ」という言葉を良く目にする。
「こりれいず」でもその流れにのって、誰でも受け入れ、そこにゆるやかに交流の風がそよぐ様子を指して、“人が出会い、混じり合うコミュニティ”とか、“テーブル上がひとつのコミュニティになる”なんて表現を用いたりしている。
しかし考えてみれば「コミュニティ」には、所属する固定メンバーが存在し、それぞれ身の丈にあう役割が求められる。「コミュニティ」は、それによって維持されてゆくとも言える。
「こりれいず」の活動は常設でもなければ、会員だけの活動でもない。何なら、そうならないように、ならなくても活動できるようにと、もがきながら活動してさえいる。
そのため、どうしても表現に途上感を纏うことになり(まだ、道のりの途上であることは自覚しているが…)、
使いながらちょっとした違和感があった。
常々、わたしたちの考え方や振る舞い方に共感するひとたちが、仲間として定着してくれることを歓迎しながらも、固定化せずに自由に出入りできる余地も残したいと考えている。
わたしたちの団体が大きくなるよりも、共感する人たちが、それぞれに動き出すような…
団体紹介の資料では、それを「100の成果を10×10より、1×100で」と表現した。なんなら、10×10より成果は落ちるが、1×50の方が断然良いとさえ考えている。
“コミュニティ”と呼ぶには弱く、一期一会を基本とする、ふんわりと柔らかな繋がり。まずは、そこを大事にしたい。
多分、わたしたちの活動に、“コミュニティ”という言葉は強過ぎるのだろう。それでも、わたしたちの活動は、今こそ必要なのだと強く信じている。
#こりれいず
#日々の中で思うこと
#コミュニティ
#コミュニティでは強過ぎる
#柔らかなつながり
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