家族でも生徒でもない“こども”と、親でも教師でもない“おとな”が、“あそび”の中で出会い、気負わず楽しく居合わせる機会づくりに励む「こりれいず」。
代表のす〜さんが、活動や日々の出来事、思いついたことなどを羅列しています。どうぞ、 おつきあいください。
活動の予告・報告は Instagram(@korireizu) Facebook (@こりれいず仙台) でも確認できます。
2008
かつて、私はある二人の先輩と、酔った勢いからかある口約束をした。
私「何も子ども達に見せるワザを持っていなくても、子どもたちと遊ぶ場づくりの活動ってできますか?」
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2008
親とも先生とも違う、もうひとつのオトナとの出会い。同じ地域で暮らし・働き・学ぶこどもとおとなの間に、認め合い、育ちあう関係が生まれたら、こどもたちはもっとのびやかにしなやかに育つのでは。そして私たちオトナも。
そんな理屈を考えながら、ただ地域の子どもたちと遊びたいがために、ボランティア・グループを始めました。名前は「もうひとつのこどもとおとなリレーションズ」。あまりにも長ったらしい名前が最大の協力者である家族に不評のため、早々に決定した通称が「こりれいず」。これならきっとみなさまにも覚えていただきやすいのでは?
そんな理屈を考えながら、ただ地域の子どもたちと遊びたいがために、ボランティア・グループを始めました。名前は「もうひとつのこどもとおとなリレーションズ」。あまりにも長ったらしい名前が最大の協力者である家族に不評のため、早々に決定した通称が「こりれいず」。これならきっとみなさまにも覚えていただきやすいのでは?
2008
もしも、もしもの話。最悪、破損や紛失をしても我慢できるデジタルカメラが用意できるなら、やってみたいことがある。
誰かプロのカメラマンが世界的に展開していたようにも思うのだけど、「私の好きなもの、大切なもの」というテーマで自由に写真を撮らせるのだ。もちろん、被写体は「モノ」に限らず「ひと」でもいい。
件のカメラマンは日本を含む複数の国々で同じプロジェクトを行い、子どもたちが撮った写真をまとめて写真集として発行していたように思う。
自分も、地域の子どもたちとやってみたいなぁ、と思うのだ。
2008
(この記事は、ひとつ前に投稿した「こりれいず、いよいよ始動?」から先にお読みください)
「テーブルゲームであそぼう!」は、言ってしまえば、ただ集まって飲み食いしながらゲームをするだけの企画。
どうしてこれを“こりれいず”の定例企画のひとつにしようと考えているのか? もちろん、過去記事でも触れたお楽しみ会での反応がそこそこ良かったから、というのもあるけれど、一応、理由があるのです。
実は、理由は2つ。
「テーブルゲームであそぼう!」は、言ってしまえば、ただ集まって飲み食いしながらゲームをするだけの企画。
どうしてこれを“こりれいず”の定例企画のひとつにしようと考えているのか? もちろん、過去記事でも触れたお楽しみ会での反応がそこそこ良かったから、というのもあるけれど、一応、理由があるのです。
実は、理由は2つ。
2008
2007
つくづく油断はするものじゃない。
よくよく考えてみれば、ひとりで進行する“あそぼう!”は3ヶ月ぶり。
なのに、なのに。何をやるのかを早々に決めていたことが裏目に出て、どうするのか、どのように進行するのか、といった具体化する準備を一切せずに当日に臨んでしまった。アチャー。
11月の「あそぼう!」は、子どもたちに振り回される結果となってしまった。反省。
よくよく考えてみれば、ひとりで進行する“あそぼう!”は3ヶ月ぶり。
なのに、なのに。何をやるのかを早々に決めていたことが裏目に出て、どうするのか、どのように進行するのか、といった具体化する準備を一切せずに当日に臨んでしまった。アチャー。
11月の「あそぼう!」は、子どもたちに振り回される結果となってしまった。反省。
2007
恥ずかしい話ですが、私は20代の頃までは「30代になったら人生は終わりだ」と根拠もなく思っていました。
わがままな私にとって、自分の好きなことを好きなときにできなくなる(と思っていた)30代以降は、ただただ惰性で生きていくしかない人生の後半戦のように思えていたのです。
ときどき、「結婚は人生の墓場」と言う人がいます。私にとっては、それが人生ではなく30代という年齢だったのです。
今考えると笑うしかないのですが、当時はそれなりにまじめにそう考えていました。
その年代を超えた今、自分はこれまでの人生の中でも最も充実した日々を過ごしているのではないか、と思うぐらいに楽しく幸せな日々を過ごしています。
そう、人間、年齢をとっても大丈夫、だったのですね(笑)。
わがままな私にとって、自分の好きなことを好きなときにできなくなる(と思っていた)30代以降は、ただただ惰性で生きていくしかない人生の後半戦のように思えていたのです。
ときどき、「結婚は人生の墓場」と言う人がいます。私にとっては、それが人生ではなく30代という年齢だったのです。
今考えると笑うしかないのですが、当時はそれなりにまじめにそう考えていました。
その年代を超えた今、自分はこれまでの人生の中でも最も充実した日々を過ごしているのではないか、と思うぐらいに楽しく幸せな日々を過ごしています。
そう、人間、年齢をとっても大丈夫、だったのですね(笑)。